松本清張 張込み
映画化された小説は、必ず、小説を読み映画を観るようにしている。
その逆もまま有るが、必ず両方を読み、観る…..訳だ。
私の本棚の中で、多い作家は、松本清張、太宰治、宮本輝、浅田次郎
五木寛之、連城三樹彦、司馬遼太郎…..etc、かな~。
沢山本を書いている作家の小説が必然、多くなる訳だ。
浅田次郎の短編の中に、太宰治の手法を感じたり、小説は
本当に楽しみが盛り沢山だ。
今、やはり、松本清張がおもしろい!
その中で、『張込み』の映画の事を書いてみたい。
高峰秀子が、張込みされる側、殺人犯の元愛人として出演している。
私は、高峰秀子の現役時代を全く知らない。そして、この人はすでに他界している。
この映画を観て、高峰秀子という女優の魅力にハマった。すっかり、ハマってしまった。
犯人の元愛人、高峰秀子扮する女は、吝嗇な子持ちの銀行員の後妻に入っている。
刑事は、犯人が必ずこの女に接触してくると確信して、向かいの家の2階の部屋を借りて
張込みを続ける。
何の楽しみも無く、感情も無く、まるで死んだ者の様に毎日を送日する女を、刑事は
見張り続ける訳だ。 必ず、何らかの形で犯人は女に接触してくる…..
女が外出した。
しかも外出着に着替えて家を出た。
刑事達は、女を追う。
( 女の行く先には、自分達が追っている殺人犯が居るはずだ。 )
女が向かった温泉宿で、刑事達は殺人犯を取り押える。
只、刑事は驚かされる。
感情も無く、まるで生気が感じられなかった女が、殺人犯である元愛人の前では
まるで別人の女になる。そして、殺人犯の元愛人と逃避行すると言う。
…….まるで、別人だ! とても同じ女とは思えない!……..と
刑事は自分達の目を疑う。
刑事が、女の元愛人の殺人犯を取り押えた時、女は、宿の廊下の
手すりにすがって身もだえして泣く。
( 高峰秀子の、この演技がまたすごい! ホントにすごいのですヨ! )
(刑事役、大木実と女、高峰秀子)
とっさに刑事は女に言う。
『 奥さん、すぐ、つぎのバスに乗って帰りなさい。ご主人が勤め先から
帰って来るのにまだ間に合うから…………』と。
数日間、女の生活を見続けた刑事の口から出た言葉だ。
この短い言葉が、この映画を見終えて、後に残した余韻は大きい。
死んだ様に生き続ける生活の方向を、その刑事は、女に指差した訳だ。
なぜ?……..
女の中に秘めた情熱的な性質を、目の当たりにしながら、なぜ?…….
死んだように生きる方に帰れと、女を諭すのだろう?…….
数日の張込みで、女の生活をずっと見続けた若い刑事の本心からの諭し
だという事は、映画の感じから解る。
生活するとは……慎ましい日常の繰り返しだと、その中にささやかな喜びを見つけ
送日して行くのだと、若い刑事は、この事件の結末で理解したのだろうか……..?
私が思ったのは……….
若い刑事は直感で感じ、とっさに女を諭した。
『 まだ間に合う! ご主人が帰って来る時間に……。だから、すぐ支度をして
次のバスに乗りなさい……』 と。
直感で、この女の纏っている薄幸を感じ取り、女の内にある情熱的な性分は、女に災いを
手繰り寄せる作用として動いてしまうのではないか…….。
そうだとしたら、死んだ様に生き続ける方を選択するほうが…..と。
すごい映画だと思った。 そして、高峰秀子という女優の映画をもっと
観てみたいと思った。
(放浪記の林芙美子役) (24の瞳の大石先生役)