菅原文太『 獅子の時代 』が、終わった…….
今月は、あと1回、土曜日があるけど、それを待たずして
『 獅子の時代 』は、23日(土)に最終回の放送を終えた。
土曜の夜、用事を手早く片づけて、テレビの前に座る私の
ささやかな楽しみが無くなった。
感想は………ウ~ム! 良かった! 余韻がすごい! 納まらない!
ドラマの中で、平沼銑次が言う言葉が心に残った。
西南の役の折、中央政府の役人になった薩摩の苅谷嘉顕は、
西郷軍に鹿児島士族として参戦した、実父と田原坂の激戦地で
刃を交える事になる。
事前にそれを知った、銑次は、その事を厳しく止めて、嘉顕を戒める訳だ。
『 実父を殺さなければ、新しい日本が作れないと言うのなら、
新しい日本等、作らなくて良い! 』
それに対して、薩摩の苅谷嘉顕は、『 この度の理は、政府の側に有る 』と
答える。 平沼銑次は、『 親を殺す事が、何の理だ 』と諭す。
銑次の必死の説得は、『 個 』としての全うな意見であり、それに応える嘉顕は、
『 組織人 』としての答えで、悲惨な選択は、かみ合うところが無かった。
やはり、ご維新は、一筋縄ではいかなかった訳だ。
中央政府の役人は、薩、長で派閥を造る。権力闘争をする。
各地で重税の負担に耐えかねた百姓一揆は起こる、言論の弾圧は厳しい。
( 山田方谷)
以前、このブログに書いた、私の故郷、備中松山藩の家老であり、今で言えば大蔵大臣、
『 山田方谷先生 』の事。 私は、時空を旅して、平沼銑次と山田方谷先生を
ぜひ、会わせたいと思った。
( でも、平沼銑次は、架空の人物なので会えないか~。 )
お殿様が、幕府の老中、板倉勝静だから、当然、ご維新の折は賊軍。
でも、殿さんも最後迄立派に戦ったし、山田方谷先生は、産出する鉄で産業をおこし
破綻し、それを又、粉飾でごまかすだけの藩財政を立て直す、飢饉の年も一人の餓死者
も出さない、自藩を守る軍隊を、士族以外で造りあげる…….他
身分は低い人だったけど、藩主、板倉勝静の鶴の一声で、大蔵大臣に抜擢される訳だ。
だから、殿さんも人を観る目を持った優秀な人なのだ。
( 板倉勝静)
明治新政府が出来た時、大久保利通や岩倉具視に、中央政府の大蔵大臣にと請われた。
が、山田方谷先生は、『 2君に支えず 』 と言って固辞し、自身の役職からもキッパリと
身を引いた。
だから、その名前が、歴史の表面に出ていない。
私の実家から車で5分くらいの所に庵を構えて余生を過ごした。
つつましい住まいが、今も残っている。
山田方谷先生は、本当に立派な人として、今も郷里の学校では
歴史教育として、その偉業を語り継いでいる。
今の時世にこそ、『 山田方谷 』黄泉み帰れ………………….